ギルドから届いた修理依頼を前に、焔は火床の前に立っていた。
その姿には、静かだが研ぎ澄まされた気配が漂っている。
これから鉄と向き合う者にだけ宿る、深い集中が、空気を張り詰めさせていた。
目の前の盾は、芯のフレームが見事に歪み、表面も数箇所が剥がれかけていた。
普通なら“買い替え”をすすめられてもおかしくない代物。だが、まだ見捨てるには早いと、焔の手が動き始める。
両脇の台には、剣、弓、ロッド――いずれも、交換を検討されるほどの重損傷。
そのどれもが、修理だけで数日を要するはずの状態だった。
それでも焔は、一言も発さず、淡々と、目の前の仕事に向き合っていた。
カン、カン、カンカン――ガァン! カン、ガガァン!
まるで雷鳴のような打撃が、火床を震わせる。
火花が風を纏い、火床の炎が煽られ、渦を巻いた。
周囲の空気が振動し、窓ガラスがわずかに震える。
連打、連打、また連打。
焔の手は目にも留まらぬ速さで動き、槌が刻む音が、歪んだ構造をなぞるように整えていく。
削り、整え、溶かし、繋ぎ、再生する――そのすべてが、わずか数十秒のうちに。
まるで、炎の中に神が降り立ち、鉄と会話しているかのようだった。
やがて最後の一打。
焔がひとつ、深く息を吐き、槌を振り下ろす。
ガァァンッ!!
金属音が空間を貫き、天井を鳴らすほどの轟音が炸裂する。
火床の炎が爆ぜ、火花が星のように舞い上がった。
……そして、静寂。
並べられた剣、弓、ロッド――
どれも、本来なら数日かけて直すか、下手をすれば買い替えるべき損傷だった。
だが、それらはすでに完璧に仕上げられていた。
ただ直しただけではない。今すぐ実戦に持ち出せるほど、精密に、隙なく整えられていた。
昼前、焔が火床の片付けを終える頃――
控えめなノックとともに、戸がそっと開いた。
「焔さん、取りに来ました」
「あぁ、ご苦労さん。出来てるで。」
焔は振り返らずに答え、火床の火を細めていく。
ナツメは黙って机へ向かい、丁寧に並べられた武具を見て、思わず息をのんだ。
剣、弓、ロッド、盾。
どれも、あの傷だらけだった姿が嘘のように、生まれ変わっている。
「……すごい。やっぱり焔さんだ」
ナツメはそっと、それぞれの武具を手に取り、用意していた布で一つひとつ包んでいく。
その手つきはまるで、大切な品を扱う神官のように慎重だった。
「ギルドの方には、私から渡しますね。きっと驚かれます」
「……文句が出たら言うといて。そんときは、もう一度叩く」
「ふふ、そんなことになったら……鍛え直されるの、どっちでしょうね?」
焔はくすりとも笑わず、黙って火床に視線を戻す。
ナツメはそれを見て、小さく笑った。
「今日も、ありがとうございました。じゃ、行ってきます」
「あぁ。気ぃつけてな」
戸が閉まる音とともに、再び工房には火の音だけが戻ってきた。
──数刻後、ギルド支部。
「……なんだこれ。新品みたいじゃねぇか。ほんとに、俺の剣かよ」
剣士が剣を握り直し、思わず呟いた。
「……構えやすい。前よりずっと、しっくりくる」
アーチャーが弓を軽く引いてみせ、目を細める。
「魔力の通りも滑らかです。詠唱が、詰まらなくなってます」
ヒーラーがロッドを持ったまま、ぽつりと呟いた。
「盾のバランスも戻ってるな。衝撃の逃げ方がまるで違う。前より振りやすい」
タンクが腕に装着しながら、しみじみと語る。
朝に預けた武具が、昼には戻ってきた。
たったそれだけの時間で、まるで生まれ変わったような仕上がり。
見た目も、感触も、まるで別物のように整っていた。
誰もが、その完成度にしばし言葉を失っていた。
だが――
その静けさの中で、ふと胸に滲んできたのは、昨日の記憶だった。
……あの戦い。
剣は、刃こぼれを起こし。
弓は、引きが狂い。
ロッドは、魔力が詰まり。
盾は、もう一撃で砕けていた。
──ゴブリンキング討伐の失敗。
剣士が、悔しげに呟いた。
「次は……絶対勝ちてぇ。武器さえ壊れなきゃ、勝ててたんだ」
タンクも頷きながら口を開く。
「たしかに……オレの盾も壊れなかったら、もっと戦えてた」
一瞬、場に静けさが落ちる。
その沈黙を破るように、ナツメが柔らかく言った。
「それなら、焔さんに相談してみたらどうですか?」
アーチャーが眉を上げる。
「相談って……そういうの、受けてくれるのか?」
「はい。焔さんは、装備の状態を見て、必要なら“強化”や“調整”の提案もしてくれますよ。もちろん、相談だけでも大丈夫です」
ヒーラーが小さく頷いた。
「……行ってみたい。今の装備のままじゃ、不安が残るから」
「……すごいな、そこまでやってくれるんだな」
タンクが目を見開く。
「案内が必要でしたら、私もご一緒します。いま少し、手が空いてますので」
「助かる。頼めるか?」
「もちろんです」
ナツメは穏やかに微笑み、カウンターを回って扉へ向かう。
「それじゃ、こちらです。足元に気をつけて」
剣士とアーチャーが立ち上がり、ヒーラーもそれに続いた。
アーチャーは、弓を背負い直しながらつぶやいた。
「……焔か。どんな人なんだろうな」
ナツメは、少しだけ笑った気配を残しながら、先を歩いていた。
【第2話:焔との対面(推敲版)】
焔屋の戸口には、小さな風鈴が吊るされていた。
ナツメがノックすると、鍛冶場の奥から微かに返事が聞こえる。
「入っても大丈夫です。ちょうど作業が終わった頃かと」
焔屋の扉が、**ギィ……**と音を立てて開いた。
ナツメが先に入り、冒険者たちがそのあとに続く。
鍛冶場には鉄と炭の香りが満ち、火床の赤がゆらゆらと揺れていた。
壁には丁寧に手入れされた工具が並び、空気にはどこか張りつめた気配が漂う。
「……ここが、焔屋……」
タンクがぽつりと呟いた、そのとき──
「……ん? そっちの剣、ウチがさっき直したやつやな」
焔がふと顔を上げる。
どこか訛りの残る、けれど耳に残る声が、鍛冶場の熱気に溶けていった。
「ほな、弓もロッドも……へぇ。持ち主がそろって来てくれたんか」
軽く槌を地面にコンと下ろしながら、焔は笑う。
「お、おい……」
アーチャーが声を漏らす。
「……あれが、焔?」
ゆっくりと現れたのは、大きな槌を肩に担いだ一人の女性だった。
背は高く、すらりとした体つき。
首元にはタオル、袖はまくり上げ、煤のついた前掛けをつけている。
見た目はまだ若い──いや、少女にすら見えた。
「え……この子が……?」
タンクが眉をひそめる。
「いや、勝手にだけど……もっとゴツい親父を想像してたわ……」
「見た目で判断しないでください」
ヒーラーが小声で釘を刺すが、その顔も驚きを隠しきれていない。
焔は腰に手を当て、ニヤリと笑った。
「ほんで、どしたん? ウチの顔でも見に来たんか?」
ナツメが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「急で申し訳ないんですけど、みなさんの武器を見てほしくて」
焔は少しだけ目を見開いたが、すぐに口元を緩めて頷く。
「あぁ、ええよ。ちょうど手が空いたとこやし」
「ありがとうございます。助かります」
パーティの面々も、どこかほっとした表情を見せる。
固くなっていた肩が、わずかに緩んだ。
焔はパーティをぐるりと見渡し、眉をひとつ上げた。
「……で? どうしたん? 修理に不満でもあった?」
剣士が一歩前に出た。
「いやそうじゃねえ。修理は完璧だ。実は、武器の強化の相談に来たんだ」
「うん、ええやん。それで?」
「……ああ。クエスト、実は失敗しててさ。ゴブリンキングに、もう一回挑むんだ。
さっき直してもらった剣、すげえ調子いいけど……もっと“斬れる”ようにして欲しい。」
アーチャーも、弓を肩からずらして前に出した。
「俺の弓の修理してもらって十分戦えるけど……もっと反応よくしたい。
弦の調整とか、できるなら頼みたい」
ヒーラーもロッドをそっと差し出す。
「詠唱がたまに詰まるんです。魔力が引っかかる感じで……
もし、もう少し流れを整えられるなら、お願いしたいです」
最後に、タンクが盾に軽く手を添えた。
「オレの盾もさ、今はバッチリだけど……また壊れたらって思うと怖ぇんだ。
もっと“守れる盾”にしてほしい。次こそ、絶対に崩れたくねぇから」
焔は黙って全員の顔を順に見たあと、ふっと口元をゆるめた。
「──なるほどな。強化の内容は分かった。やれるで」
剣士たちの顔に、ほっとした色が浮かぶ。
「けどな」
焔が少しトーンを落とす。
「芯から鍛え直すには、それなりの素材が要る。今ここには全部は揃ってへん」
「ってことは……」
アーチャーが眉をひそめる。
「せや。取りに行ってもらうことになるわ。ウチが欲しい素材を指定するから、それ集めてきて」
焔は棚から帳面を引き抜き、パラパラとめくった。
「剣用、弓用、盾用、ロッド用。全部違う。持ってる分もあるけど、今やと足りん」
ナツメが手帳を開き、焔の言葉を記録していく。
ヒーラーがメモを覗き込み、そっと呟いた。
「……入手困難なものばかり……」
「素材さえ揃えてくれたら、ウチは全力で鍛えるで。どうする?」
剣士が真剣な顔で頷いた。
「分かった。すぐ集めて戻ってくる」
焔は少し笑って、手元の帳面を閉じた。
「よっしゃ!ほな、気ぃ付けてな。」
その声には、どこか背中を押すような、あったかい火のぬくもりがあった。